2006年12月06日

経済学の始まりの風景

今日は短いトピックスを。

昨日取りあげた『持続可能な福祉社会』のエピローグの中で、古典派経済学の泰斗、ジョン・ステュアート・ミルの言葉が紹介されています。

「…実を言うと私は、先へ先へと進もうとして苦闘することが人間の常態であり、互いを踏みにじり、ぶつかり合い、押し退け、足を踏みつけ合うことが人類の最も望ましい天性であると考えている人たちが提唱する生活の理想というものに、魅力を感じていない。資本と人口の定常状態が、人類の向上の停止を意味するものでないことは、ほとんど言うまでもないだろう。」(ジョン・ステュアート・ミル『経済学原理』)

ミルは産業化の動きが加速していった19世紀半ばにおいて、経済の「定常状態」論を既に提起していたというのです。

もう一つ。
『人間回復の経済学』(神野直彦著)によれば、「経済学の父」と言われるアダム・スミスは、有名な『国富論』をあらわす前に『道徳情操論』を刊行しているそうです。その中で彼は、「人間の本性が利己心のみにあると考えていたわけではなく、相互に共感できる社会的存在としての人間を理解していた」と言います。

経済学は人間の道徳心、公共性、他者への共感性、自然や生命に対する畏敬の念など、さまざまな「本性」を捨象することで理論化を図りますが、経済学の始まりの風景の中には、もっとバランスのとれた「人間らしい人間像」が息づいていたようです。

そのことを、私たちはもう一度思い出した方がよいのかもしれません。

人間回復の経済学人間回復の経済学
神野 直彦

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posted by Toshi at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | Workstyle for Sustainability | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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